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キリストの香り 心のふる里        日本キリスト教団 香里教会

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 (マタイ 11:28)

聖霊降臨節第21主日礼拝 

2018年10月7日(日)ルカ福音書24章13-35節
「信仰の火を灯されて」三ツ本武仁牧師

 今回わたしは、この主日の説教がなかなか出来ませんで、悩んでおりました。復活信仰を語るというのは、いつも苦労いたします。それは、復活とはこういうものです、と客観的に語っても、それだけでは聞く者には何も伝わらない、ということを身にしみて知っているからだと思います。復活についての解き明かしは、理屈ではなくて、それを語る者自身が、じっさいにイエスさまは確かにいまも生きておられる、との信仰に生きていなければ、相手には伝わりません。けれども、前にも言いましたように、そのような復活信仰は、じつはクリスチャンだからと言って、いつもいつも抱いていられるとは限らないのです。どうしたものか、と私は悩んでおりました。

 ところが、そのような中で、水曜日の晩であったかと思いますけれども、夜中に突然目が覚めまして、仕方ないので、そのまましばらく起きて、本を読むことにしました。山崎英穂先生に以前にいただいた『アガペーの言葉』という本を何気なく読み始めたのです。そうしましたら後ろのほうの、「恵み深い結末へ」と題された文章を読み始めて、はっといたしました。そこに、私に洗礼を授けてくださいました四竈陽牧師の名前が記されていたからです。

 興味をそそられて注意して読み始めました。それは四竈牧師がご自身でもお書きになりまた編集された『平和を実現する力―長女の死を巡る被爆牧師一家の証言』という書物に、山崎先生が感銘を打たれて書かれた文章でした。この四竈先生の本は、私にとって大変思いで深い本でした。わたしが以前、山形の高校で宗教主任をしていましたときに、学校の総合学習で、平和、核兵器の恐ろしさ、というテーマに取り組むことになりましたとき、広島での被爆体験のある四竈先生を呼んでほしい、ということになりまして、数十年ぶりに、四竈先生にお電話をして、ご承諾いただいて、東京からわざわざ山形にまで来ていただいて、生徒たちにお話をしていただいたことがあったのですけれども、そのさい、美味しいお蕎麦屋さんをご紹介しまして、そこで一緒におそばを食べているときに、実は昨日この本が出来たところなんですよ、と言って私にくださったのが、その「平和を実現する力」という御本だったからです。

 山崎先生はこの四竈先生の本の内容を次のように紹介しておられました。「これは、広島教会牧師であった四竈一郎牧師一家の証言です。広島女学院の生徒であった、長女は被爆後一ヶ月で亡くなりました。弟の揚少年―四竈揚牧師のことですけれどもーは、中学生でしたが、その朝、ある場所で、そこはしばらく後に、原爆が落ちてくる、その場所のすぐ近くであったのですけれども、そこで、勤労動員の作業をすることになっていました。しかし、集合場所から中学校に戻って、作業のことを知らない生徒に知らせるよう伝令に行かされることになり、中学校に引き返すことになりました。揚少年はなんで自分がと心の中に不満を抱いたといいます。しかし、これが生死の分かれ目となり、作業をしていた友人は亡くなり、自分は生き残ることになったのです。このことが揚少年にとって、大きな問いとなって、「私が生きて何かしなければならないことがあるからこそ、神さまは私を生かしてくださったのだ」と思うようになって、そして、いろいろな経緯を経て、お父様と同じ牧師になる決意が与えられたと語られています。」と、そのように書いておられました。

 本当は原爆で死んでいたはずの自分が、奇跡的に生かされることになった、それはなぜか、また、その体験がなぜ、キリスト者として生きる、あるいは、牧師として生きるということに結びつくのか、実に、このテーマは、四竈先生が、二年前に天に召される、この地上の最後のときまで、ずっと格闘してきた問題であったようです。そのことを、わたしは、四竈先生の遺作ともいえる、「この最後の者にも」と題されました2014年にご出版された書物を読ませていただくなかで、改めて気づかされました。

 その「この最後の者にも」という御本の、最後の章は、四竈先生があるキリスト教雑誌から依頼を受けて「3月11日の後で、教会は何を聴き、何を語るか」というテーマをご自身の「被爆体験を踏まえて」語られた、そのときの文章をそのまま収録したものとなっていました。3月11日、いわずもがな、2011年の3月11日におきました東日本大震災のことであります。あのような震災、洪水を経験した後で、キリストの教会は何を聴き、何を語るべきか、それをご自身の広島での被爆体験を踏まえて語ってほしい、と先生は頼まれたわけです。その文章が、結局、四竈先生が最後にだされた書物の最後を飾る文章となった、ということは大変意義深いなあ、と思いました。

 その中で、四竈先生はこんなことを語っておられました。「神学生になって、自分を含む「広島市民の苦しみ」に意義を見出すために最初に手に取ったのは『ヨブ記』であった。家、財産、家族などを次々に奪われていくヨブが最後まで「自分の無垢・信仰」を信じて、「何故、そんな自分がこのような苦難を味合わなければならないのか」と問い続ける。このヨブ自身に心の中で共感して、ヨブに声援を送りながら、ヨブ記を読んだ人も多いことだろう。しかし、そのような傍観者的な読み方は、ヨブ記の最後になって木っ端微塵に打ち砕かれる。

 そう記して、四竈先生は、ヨブ記の38章1節以下の言葉を引用されます。

 主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
 これは何者か。知識もないのに、言葉を重ねて、
 神の経綸を暗くするとは。
 男らしく、腰に帯をせよ
 わたしはお前に尋ねる。わたしに答えてみよ。
 わたしが大地を据えたとき、お前はどこにいたのか。
 知っていたというなら、理解していることを言ってみよ。

 四竈先生は続けられます。ヨブはもう抗弁することができない。身を低くして引き下がるのである。ヨブの聞いた神の言葉は、まさに大音声のように私の心の中に響いた。そしてこの言葉がそのまま、私が担うべき使命として伝道者への道を示してくれる言葉となった。さらに、自分に与えられた役割から逃げ出そうとした預言者ヨナのように、その使命から逃げ出そうとしても主は自分をしっかりと捉えてお放しにならない、という経験を幾度したことであろう。自分自身が神の「手のひら」の中で生かされ、用いられようとしていることを発見させられたのである。自分でなければできないというような思い上がった気持ちからではなく、他の人に代わってもらうことのできない、自分に与えられた固有の使命と直面させられたのである。私がなすべきなんらかの使命のために私は死ぬべきところを生かされたのだ、ということが本当によく分かったのは、かなり遅く、自分が牧師として教会につかわされるようになってからだと思う、・・・とそのように綴っておられました。

 また四竈先生は、犠牲者の意義ということについて、第一に、イエスさまが繰り返し、因果応報的な考えを否定されていることを、聖書の様々な箇所から示されました。とくに、愛する者を失った人々の痛みと悲しみは、愛する独り子を罪ある全ての人間のためにおつかわしなった神の痛みと悲しみに通じているとのある神学者の解釈に共感されていました。そして、続いて、四竈先生のお父様の被爆の体験談を紹介されました。あの広島での原爆によって、広島教会が跡形もなく焼けてしまった、その焼け跡に、たまたまそのとき、小高い丘の上にいて命拾いをした四竈先生のお父さま、四竈一郎牧師が、かけつけて、もはや消息もわからない、大切な羊たち、教会員たちのことを思いながら、おもわず、手を組んでその場で祈った、その祈りは、「神さま」という言葉だけであった。「神様」と呼ぶ以外の言葉が見つからなかった、ただそのときの気持ちは、神さまへの願いでも、神さまへの訴えでも、神さまへの怒りでもなく、深い懺悔であった。そして、やっと「神さま、これからやります」と決意を示す祈りだけを祈ることができた、という、そういうお父様の体験談を紹介されて、このときの父の神への懺悔は何であったか、父とそのことについて話し合うことはあまりなかったが、自分には、だいたいわかるように思う、と述べられて、それは、第一に、主なる神に赦しを祈ることであり、教会の群れに対する牧会が十分でなかったことへの懺悔であり、日本が戦争へすすむなか、教会がそれに否を唱えるどころか協力してしまったことへの懺悔であり、そのほかもろもろ、この地の伝道を十分にしてこなかったことへの懺悔であったと思う、と述べておられました。

 四竈先生は、聖書から説き起こして、様々な悲劇や犠牲の中に、因果応報を見るのではなく、ただ、そこから、人がどうこうではなく、ああ自分は、神さまの前に罪人であったと気付いて、懺悔し、なお、そこから、わたしたちを哀れみ、生きる道を示し、使命を与えてくださっています主に従ってゆくこと、それが災害や事故によって犠牲になった方々へ向けるべき、生かされたもののまなざしであり、また生き方である、といことをお伝えになりたかったのではないかと私は思いました。
 
そして、わたしは以上のような四竈先生の文章に触れて、心が熱く燃えるような思いがいたしました。その内容そのものに、深く教えられたということももちろんありますが、思えば、四竈先生との出会いがあったからこそ、自分は洗礼を決意できたのだ、ということが思い出されましたし、また牧師への志も、わたしもその後紆余曲折ありましたけれども、やはり最初に出会った牧師である四竈先生の影響が大きかったと思いだされたからであります。

 今日私たちに与えられました聖書箇所には、最初暗い顔して、心を鈍くしていた2人の弟子が、やがてイエスさまと出会い、心を燃やされ、信仰を回復していく、そういう出来事が語られています。イエスさまがエルサレムで、十字架におかかりになって、死んで葬られた後に、不思議な出来事が起こりました。イエスさまのご遺体が納められたはずのお墓に行った婦人たちは、そこで、お墓が空っぽで、イエスさまのご遺体がなくなっていること、そして2人の輝く人に出会い、その2人から、イエスさまはご自身が言われていたように、イエスさまは復活なさったのだ、今も生きておられるのだ、と告げられたのです。その出来事を、聞き知った弟子たちのうちで、いま二人の弟子たちが、エルサレムを離れて、エマオと呼ばれる場所へ向かっていました。

 この2人は何のためにそのエマオへ向かっていたのでしょうか、一説によれば、エマオは2人の故郷だったと考えられます。つまり、あるときから彼らは、イエスさまの弟子となり、イエスさまに従ってエルサレムまで来ていたわけですけれども、このたびのイエスさまの十字架の死にさいして、もうイエスさまはおられない、とそのような絶望的な思いのなか、もはや自分たちがエルサレムにいる意味はない、とエルサレムを離れて、故郷へ帰ろうとしていた、そういうことが考えられるのです。

 14節をみますと、彼らは、その帰り道において「この一切の出来事について話し合っていた。話し合い、論じ合っていた」といいます。そこにイエスさまが現れてくださるわけですが、16節には「2人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった」といいます。そして、そのイエスさまが2人に向かって、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか、」と言われると、17節、2人は「暗い顔をして立ち止まった」とあります。2人は「暗い顔をしていた」のです。それは信仰を失った、希望を失った顔であります。イエスさまの復活信仰は、頭だけで論じ合ってわかるものではありません。今回の説教準備に臨んでいた私自身も、はじめに、まさにそのような状態にあって、暗い顔をしていたことと思うのです。

 しかし、そこにイエスさまがじっさいに現れてくださり、彼らにはまだ、それがイエスさまだとはわかっていませんでしたが、その人と一緒に食事をする中で、30節にありますように、その人がパンを取って、賛美の祈りを唱えてくださって、そのパンをさいて自分たちに渡してくださったとき、2人の目が開けて、つまり、2人の信仰の目が開いて、その人がイエスさまだとわかるのです。するとしかし、イエスさまの姿が見えなくなってしまう。けれども、彼らは32節にありますように、あの人が「道で話しておられるとき、また、聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」という経験を思い起こして、いそいでエルサレムへと引き返し、信仰の兄弟姉妹とふたたびまみえたのです。つまり、彼らはイエスさまへの信仰を取り戻し、ふたたび教会の群れの中へと戻っていったのであります。わたしもこのたび、不思議な導きによって恩師である四竈揚牧師の文章に触れ、先生のこと、先生に山形まで来ていただいて一緒にお蕎麦を食べたことを思い起こし、また先生のその文章の中での聖書の解き明かしを通して、イエスさまへの信仰を新たにさせていただいたように思うのです。

 今日の2人の弟子が経験したことは、イエスさまによる御言葉の解き明かしと、聖餐の恵みであります。わたしたちの教会生活にはいろいろな事柄があり、どれも大切なことでありますけれども、その中でも、やはり一番の中心は、御言葉の解き明かしを聞くことと、聖餐式の恵みにあずかることなのです。生けるキリストは、今は天におられますが、そのみ心を、ご自身が今も生きて、わたしたちを導いておられることを聖書の御言葉を通して、私たちに示されるのです。そして、また、御言葉を通してというだけでなく、食卓の交わりを通して、すなわち、私たちの体全体でわかる仕方で、ご自身を示してくださる、それが聖餐の恵みであります。キリストの復活とは、そのような教会生活の中でこそ、味わい知ることができる事柄であり、また、さらにそこから、主の御心にならって私たち教会が伝道へと一歩踏み出していくとき、さらに豊かに深められていくのです。そのようにして私たちの信仰の火は繰り返し、灯されていきます。心が燃えていたではないか、という、燃えるは、決して激しく、熱烈に燃えた、ということではありません。それはむしろ、油を切らしかけてくすぶっていたランプの灯りに、ふたたび油が注がれて、ふたたび、ぽっと明るい火が灯った、という状況を指す言葉であります。

 先日の地区集会で、ある方がこんなことを言われていました。教会に来て礼拝に出るとまた信仰が与えられて元気になるけど、帰りの車で成田山にさしかかるころから、次第にまたこの世的な思い煩いで心がいっぱいになってしまう。来るときも、途中まではこの世的なことであ頭がいっぱいだけど、やっぱり成田山まで来ると、だんだん心が教会モードに切り替わってきます、と、そんなことを言われていました。行きも帰りも成田山まで、という、なんのこっちゃ、という感じですけれども、しかし、ある意味でそれはそれでいいのです。わたしたちはすぐに信仰のこと、聖書のことを忘れてしまう弱い者です。でも、教会に来てイエスさまに、繰り返し、信仰の火を灯していただく、それがわたしたちの信仰生活の基本なのです。ただ、その上で、家に帰ってからも、聖書を読む、とくに祈る、朝晩祈る、という、そういう習慣をもっていかれたら、なおいいですね、という話になりました。祈りは神さまとの時間です。英語でデボーションとは、聖書を読み、祈ることを指しますけれども、その基本の意味は、取り分ける、ということです。神さまの時間を取り分けるということです。そういう時間の中で、わたしたちの信仰の火は、繰り返し油を注がれて、ともされ続けていくのであります。お祈りいたしましょう。

 主なる神さま 御子イエスは、私たちの人生の只中に確かに来てくださり、愛を持って守り導いてくださっていますことを知ることがゆるされ心から感謝いたします。とくに聖書の解き明かしと、聖餐の恵みを通して、ご自身がいまも生きておられることを示してくださっていますことを感謝いたします、いま様々な苦難の中にある人々にあなたの福音が届きますように、またこの国の為政者があなたの御心にそう道を選びとっていくことができますように、わたしたち教会が、御言葉と聖餐によって清められつつ、あなたのため、隣人のために祈りをあつくしていく群れとならせてください。主のみなによって祈ります。アーメン、
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category: 礼拝メッセージ

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聖霊降臨節第20主日礼拝 

2018年9月30日(日)ルカ福音書24章1-12節
「主イエスは生きておられる」三ツ本武仁牧師

 「教会の未来予想図、あなたたちの未来には希望がある」、先週の月曜日に、私はそのように題されました、大阪教区の宣教部が主催する宣教セミナーに、そのスタッフの一人として出席して参りました。「あなたたちの未来には希望がある」というのはエレミヤ書の中にある一節ですけれども、66名という、比較的多くの出席者がありました。セミナーでは、5年後、10年後の教会はどうなっているか?という興味深いテーマで、3つの教会から教職および信徒が発表をし、その発表をもとにして、分団に分かれて話し合いました。

 5年後、10年後、自分の属する教会はどうなっているのだろうか? これは確かにクリスチャンである私たち一人一人にとって気になるテーマであります。そして、データ的なことをいえば、とても楽観できない、厳しい現実がどの教会の未来には立ちはだかっている、それが、一つの厳然たる共通認識であります。けれども、いざ蓋をあけてみますと、確かに現実は厳しいのですけれども、そこで語られたお話は、どれも不思議な希望に満ちていました。

最初に発表されたのは、M教会の牧師でありましたけれども、牧師らしい、わたしたちの希望はどこにあるのか、もちろん、それはキリストにこそあるのだ、という、そういう話で始まりましたけれども、その希望をいただきつつ、具体的に教会として何に取り組んでいるか、M教会では、最近、夕方の礼拝、夕礼拝を始めた、ということで、それは、転職をして日曜日に仕事を始めた信徒の方の要望に応えるかたちで始まった、ということでした、じっさいには1人しかこない時も多い、M教会は教会学校もすでになくなってしまったということですが、そのような小さい教会ですけれども、そうした中でも、キリストにある希望のもとに、前へ進もうとしている姿を伺うことができました。

 2番目に発表されたのは、会場教会であるT教会の信徒の方で、教会学校の先生をされている方でしたけれども、子供の教会という取り組みについて熱く語ってくださいました。じっさいにはやはり高石教会でも、子供の数は年々減る傾向で、ふだんの礼拝には、最近は子供が1人しかこない、いや一人もこないときもあるということですけれども、そうした中でも、クリスマスやイースターなどの大きな行事には、いろいろな工夫をして子供たちをたくさん呼び集めている努力をなさっていることが話されました。

 そして3番目に発表されたのは、H教会の教職と信徒のペアでありました。H教会では、古い会堂を様々な事情により移築しなければならないという課題があって、その課題をめぐって、教職、信徒がともに、まさに5年後の教会を思い描きながら、丁寧な話し合いをすすめてこられて、やはり規模として小さな群れでありますけれども、それでも一歩前に進んでいく、そこに幻は与えられていく、という信仰を確認しあって、いまじっさいに、会堂の移築、建築に向かっての取り組みが始められたことが語られました。

 私は、このようなお話しを伺いながら、どれも私たち香里教会と無関係ではないお話だと思いました。そしてまた、やはり大事なことは、確かに、最初の箕面東教会の牧師の語られた、キリストにこそ私たちの希望がある、ということだと改めて思わされました。キリストに希望をおいているからこそ、教会の具体的な様々な取り組みも、しっかりと進めていくことができるのであります。3つの教会のお話の共通点は、そこにあると思いました。この世的な現実という点では、確かに厳しい、しかし、私たちキリストの教会は、それでもキリストに根拠をもつ、キリストに希望を持つがゆえに、いつまでも決して色褪せないのです。

 けれども、そこでさらに大事になってきますことは、そのキリストにある希望とは、どのような希望なのか、ということです。このことがはっきりしない、ボヤけていますと、私たちはたちまち、途方に暮れてしまうことになるのです。そのことが、今日私たちに与えられました聖書箇所には示されているように思います。

 前回のところで、私たちは、十字架に死なれて、葬られて行くイエスさまのことを読みました。ヨセフという議員の勇敢な、そして愛のある行動によって、イエスさまのご遺体は、丁寧に葬られることになりました。ヨセフが自分の財産を用いて、イエスさまのお墓を用意したのです。聖書には、後にも先にもこのヨセフのことはここにしか出てきません。大変不思議な感じがします。もしかしたら、彼はこのような振る舞いによってユダヤ当局の反感を買い、殺さてしまったのかもしれません。それは定かではありませんけれども、そのようなことになっても不思議ではない、それほどの命がけの行動をこのヨセフはイエスさまに対してしたのであります。そしてまた、そのことによって、イエスさまを慕ってついてきた女性の弟子たちは、イエスさまのご遺体に香料と香油を塗ってさしあげる、という、そういうかたちで、イエスさまとのお別れの儀式を、せめてもの慰めとしてなすことができる、そういう希望が与えられたのでした。いま希望と申しました。そうです。このときの彼女たちにとって希望とは、イエスさまのご遺体を丁寧に葬ることができる、イエスさまの今までのご苦労をねぎらってさしあげ、せめてもの感謝を表すことができる、そういう希望であったのです。そのことで彼女たちは、きっとほっとしていたことと思います。下手をすれば、もう二度と、イエスさまのご遺体とも、出会うことはできなかった、それがヨセフのおかげで事態が変わったのです、もちろん、それは本当の意味で「よかった」といえることではない、本当はもちろん生きてイエスさまに出会いたかったでしょう。でも、それがもはや叶わない中で、せめての葬儀をすることができることに、彼女たちは、慰めを見出し、ある種の希望を感じていたのではないでしょうか?

 しかし、それはもちろん、本当の希望ではありません。先ほど申しましたようにそれは「せめてもの慰め」と呼ぶべきものだといえるでしょう。けれども、よくよく考えてみますと、私たちはこの「せめてもの慰め」をこそ、希望だと勘違いして生きていることが多いように思うのです。希望という漢字がどのような背景から生まれたかは定かではありませんが、希望は望みはほとんどない、と書きます。そこには最初から諦めが支配しているように思います。だから、せめてもの慰めとして、宗教行事を行なう、せめてもの慰めとして、亡くなった人の形見を大事にしていく、それが残された希望、ということになっていきます。もちろん、そういうことは確かに、私たちにとってある程度の慰めにはなるでしょう。でも、そういう諦めの中で生きていく、ということだけが本当に私たちの人生なのでしょうか? 苦難のある人生を、あれは仕方がない、あれはしょうがいないことだったと言って諦めて生きていく、それが神さまが与えられた、私たちの人生なのでしょうか?

 希望は、ギリシア語ではエルピスといいますけれども、聖書のいう希望というのは、それは神さまのご計画、あるいは神さまのご意志のことを指しています。つまり聖書で希望がある、というのは、まだそこに神さまのご計画がある、ということであり、まだそこで神さまがご意志をもって何かをなさろうとしている、ということを意味しているのです。これは考えてみれば、漢字で希望と書くことと、その発想は全く反対だということに気づきます。漢字の希望は、ある一つの困難な状況を、人間の側に立って見た言葉だといえます。つまり、それは確かに人間にはもう望みはほとんどない、という状況なのです。でも、聖書は、神さまの側にから、その状況を見ています。人間にはもう限界に見える。人間にはもう望みはほとんどないように見える。でも、神さまは、そこでなおご計画を持っておられる、神さまは、そのような状況でもなお、愛のご意志をもって何かをなそうとされている、それが聖書のいう希望なのです。なんでこんなことになってしまったか、と考えるのではなく、なんのために今があるかと考える、それが聖書のいう希望であります。

 いま、イエスさまのお墓の前にかけつけて、せめての慰めにと、イエスさまのご遺体に香料や香油を塗って差し上げようとしている婦人たち、それこそが自分たちに残された希望のすべてだと思っているこの婦人たちには、それゆえに、ここで本当になされている神さまのご計画、神さまからのまことの希望が見えていません。

 彼女たちは、香料と香油をもってイエスさまのご遺体があるはずのお墓にいったのですけれども、見ると、そのお墓の石が転がされており、お墓の中に入ってみても、肝心の主イエスの遺体がどこにも見当たらない、という事態に遭遇して、途方に暮れてしまうのです。途方に暮れる、というのは、味わい深い言葉ですけれども、もうどうしたらよいかわからなくなってしまった、ということです。行き詰まりであります。イエスさまのご遺体がない、せめてもの慰めの葬儀を執り行うことができない、という、最後の望みの綱を失ったことで、彼女たちは、希望を失ってしまった、絶望してしまった、というのです。

 けれども、聖書は、この後にどのようなことが起こったか、次のように記しています、彼女たちが途方に暮れていると、「輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人たちの手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」

 婦人たちの前に現れたこの二人の人とは何ものであるのか、実はこの後、次回の13節以下では、この出来事が言い伝えられていく中で、この二人は「天使だった」ということになっていきます。じっさい、そのような解釈も多くの人がなしていますから、天使であった、つまり人間ではない天的存在が婦人たちの前に現れて、神さまのメッセージを語られたのだ、そのように捉えることも、確かにできると思います。わたしも今回この箇所を読み返してみますまでは、そのように考えていました。でも、今回もう一度よく読んでみますと、ここではちゃんと「二人の人」と、つまり、この二人は人であった、と語られているのです。ただ輝く衣ですから、そんな衣はふつうありませんから、やはり天的な存在だった、ということになるかもしれません。でも、この二人もまた、私たちと同じ人であった、というふうに捉えたとき、そして、彼らは輝く衣を着ていた、というよりも彼ら自身に、その内面からにじみ出てくる何らかの輝きがあって、そのように見えたのだとしたらどうでしょうか?

 つまり、このときの途方に暮れて、絶望している婦人たちと、この二人の、内面から輝いている人たちとの間には、大きな違いがあります。その違いはどこから来るのでしょうか。どこにあるのでしょうか?

 その違いは、何に希望を抱いているか、どういうものを希望だと考えているのか、にあるのです。この輝く二人の人と、婦人たちとは、希望の根拠において、根本的に違っていたのです。このときの婦人たちは、先ほども申しましたように、せめてイエスさまのご遺体に香料と香油を塗ること、それが今の自分たちの精一杯の慰めであり、希望であると思っています。いわば諦めに支配された希望を、それでも、それしか希望がない、と思っていた。そして、そのせめてもの希望さえ失って、絶望してしまっている、それがこの婦人たちの置かれた状況です。

 しかし、それに対して、この二人の人は輝いています。なぜでしょうか。それは彼らが天使だからだ、というのではなくて、彼らが何を希望としているか、そこにかかっているのだと思うのです。つまり彼らはなんといったか。あの方、主イエスは生きておられる。復活なさったのだ。つまり、彼らがこう言えたのは、彼らがそれこそが神さまのご計画であり、ご意志であると、固く信じているからです。この二人の人は、イエス・キリストは復活された、主イエスは今も生きておられる、という信仰に生きているのです。そして、その確信が、彼らにまことの希望を与えています。その希望こそが、彼らの輝きの正体なのです。彼らが天使だというなら、まさにその点で彼らは天使だったといえるのではないでしょうか。キリストの復活を確信して生きるとき、人は、ある意味で天使のようになのではないでしょうか。

 しかし多くの場合、私たちはこのとき婦人たちのように、自分たちの希望を、本当に希望がそこにないところに探し続けているのではないでしょうか? 本当の希望、すなわち、キリストが復活され、今も生きておられる、という、そのような神さまのご計画とご意志を見失っているなかで、いくら私たちが希望を探し求めても、それは虚しいだけであります。この後、この婦人たちは、この二人と出会い、イエス・キリストの復活について聞かされたものの、それをその場で信じたとは、語られていません。ただ婦人たちは、この二人から聞いたことをそのまま、一部始終、ペトロを始めとした弟子たちに伝えただけであります。キリストの復活を信じてはいないけれども、それをそのまま、とにかく弟子たちに伝えたにすぎないのです。

 それでは、その話を聞いた弟子たちは、どうだったでしょうか。婦人たちの話を、つまりはイエスさまの復活を、イエスさまが今も生きておられるということを信じたのでしょうか。11節を見ますと、彼らには、婦人たちの話が「たわごと」のように思われた、とあります。まともに受け取らなかったというのです。ここには弟子たちではなく、わざわざ使徒たち、と書かれています。使徒とはキリストに従う者のことです。キリストに従う者でありながら、その実態はそうなっていない、キリストの復活という一番大事なことを信じられないでいる、ということです。私たちもまた、案外そういうところがあるのではないでしょうか。ここに出てくる婦人たちの姿も、使徒たちの姿も、わたしたちクリスチャンの実情と重なるように思います。クリスチャンとはキリストを信じる者のことですが、もっといえばキリストの復活を信じる者のことなのです。イエスさまが今も生きて働いておられること、それが神さまのご計画であり、ご意志であることを信じる者、それがクリスチャンです。でも案外、わたしたちは、そういう一番大事なことがぐらついていることが多いのではないでしょうか。

 しかし、それであるからこそ、今日のところは、意味深いと思うのです。最初の弟子たちでさえ、使徒と呼ばれた者たちでさえ、そういうあやふやな信仰だったのだ、ということが示されているからです。最後にペトロは立ち上がって、墓へ走っていったことが語られています。一番弟子のペトロが、ようやく奮起したかのように見えます。でも、やはりこのとき、ペトロが辿ることができたのは、お墓までです。そして、イエスさまのおられない殻のお墓を見て驚いた、というまでなのです。つまり、このときはまだ誰も、最初に登場する不思議な二人の人以外の誰も、イエスさまの復活を信じる、まことの希望には至れていないのです。

 では、いつ彼らはそのまことの信仰に至れたのでしょうか。本当の意味で彼らが復活の朝を迎えたのはいつでしょうか。イエス・キリストの復活を信じる信仰、主は今も生きておられ、私たちに共にいてくださり、確かに私たちを守り導いてくださっているとの確固たる信仰にいつ彼らは至れたのでしょうか。それは、これからしばらく後のことです。彼らは結局、復活のイエスさまに出会っても、本当にはその意味がまだわかりません。つまり、なぜ、主はこのわたしのために復活してくださったのか、ということの意味はわからないまま、それをただ恐れたり、不思議に思っていただけです。では、いつ彼らはそれがわかるようになるでしょう。それは実に、彼らが教会として一つとなって祈りを合わせ、一歩前へと歩みだそうとしたときなのです。そのとき彼らは聖霊に満たされ、イエスさまが本当に今も生きて共にいてくださり、自分たちの伝道の歩みを守り導いてくださっていることを教会全体として味わい知る恵みにあずかったのです。

 最初に申しました、宣教セミナーでは、ある年配の牧師から、希望学という学問による希望の定義が紹介されました。玄田有史さんという東大の先生がいらっしゃいますが、その玄田先生の出された新書に『希望のつくり方』という本がありまして、その中で希望が次のように定義されているそうです。「希望とは、互いに、行動によって、実現する、何かへの 気持ち」・・・この希望の定義を、わたしたちの教会の言葉で言い換えたらどうなるでしょうか。希望、つまり、わたしたちの希望であるキリストにおける希望とは、どう定義できるでしょうか、それは、わたしたちキリスト者が、教会の交わりにおいて、一つとなって、主は生きておられる、との御言葉を一緒に聞く中で、まだその確信を抱けずとも、その御言葉を胸にとめて祈りつつ、共に伝道のために歩み出していく、一歩前へと進んでいく、そのとき、確かに主イエスはわたしたちのうちに生きて働いてくださっていることを味わい知るものとされていく、そのときこそ復活の信仰を確かなものとさせていただける、それが私たちを支えるまことの希望である、ということができるのではないか、と思うのです。

 70周年に向かって、創立70周年記念委員会を立ち上げ、懇談会を重ね、祈りと宝を持ち寄って、一歩前へと進んできた、その歩みを振り返ってみますとき、確かに主イエスは、生きておられた、私たち香里教会と共にいてくださり、様々な難題、問題の中を守り導いてくださってきたことを思わされます。そのことを改めて胸に刻みつつ、さらなる喜びと希望に満ちた伝道の歩みを、私たちが共に一つなり、互いを認め合いながら、進めていきたい、と願います。祈りましょう。

 主なる神さま
 主イエスは今も生きておられ、わたしたち教会を、み業のために用いようと、ご計画してくださっています。そのご計画を見ようとせず、そこに望みをおこうともしないわたしたちでありましたが、いま一度、諦めに満ちた人間的な思いから抜け出し、教会として、一つなり、祈りを合わせ、一歩前へと進んでいくことができますように。そして、その歩みの中で、あなたの愛のご計画を示され、御子イエスが確かに生きて、わたしたちを導いておられるとの、確かな信仰に生きる群れとならせてください。主のみ名によって祈ります。アーメン


category: 礼拝メッセージ

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聖霊降臨節第19主日礼拝 

2018年9月23日(日)ルカ福音書23章50―56節
「葬られたイエス」三ツ本武仁牧師

 先週の月曜日に、私は兵庫県の灘区にありますS教会で行われました、ルカ福音書の講演会に行って参りました。昨年、香里教会の特別伝道礼拝に来てくださったM先生が、このたび、全部で三巻になる構想のルカ福音書の註解書のその第一巻を、N出版局から、ご出版されたのですけれども、その刊行記念講演会でありました。そこで驚きましたのは、会場のS教会の牧師は、Y先生でありまして、やはり一昨年、香里教会の特伝に来てくださった先生であったわけですが、講演の内容は、一部がM先生のお話で、二部は、ルカ文書を巡る、M先生とY先生の対談というかたちで行われる、ということでして、香里教会で二年続けお世話になった先生方が一緒にされる講演会ということで、私もそれは行かなければならない、という思いで行って参りました。

 そこで、いろいろと勉強になりましたし、また講演後のお交わりの中でも、多くのことを教えていただき、また励ましていただいたのですけれども、いま私たちが読みすすめていますこのルカ福音書の大枠として押さえておくべきこととして、私がM先生から教えていただきましたことを、1つ、みなさんにお伝えさせていただきますと、ルカ福音書では、ほかの福音書に比べて、神の救い、ということが告げられるときに、貧しい人々の救い、貧しい人々の解放ということが強調されているのですけれども、その貧しい人、というのは、この社会の中で、弱い立場にあり、辛い思いを日々強いられている人々、からだの痛みや、また理解されない心の痛みを抱えて生きている人々のことを代表している、ということです。そういう人々が、ルカの生きた時代の教会、ルカの関わりの中にあった教会に多くいたようです。他方で、そうしたルカの教会には、経済的に豊かな人々、社会的に高い地位にある人々も、相当数いたと思われています。ルカ自身もどちらかといえば、そういう部類の人であったようです。そうしたいわば格差社会の中で、教会の中に、おそらく社会全体にそういう風潮があったのだと思うわけですが、経済的に恵まれた人々の中には、自分たちが幸せならそれでいい、自分と神さま、という、それ以外はいい、という、そういう教会員もいたようなのです。そうした中で、ルカは、いわば自戒の思いも込めて、主イエスは、そんなことはなさらなかった、むしろ、弱い立場にある人々に寄り添っていかれた方であった、ということを、思い起こしつつ、わたしたちもまた、その主イエスに倣って生きる、そういうまことの信仰を回復していかなければならない、という、そういう信仰に目覚めて、この福音書を書き上げたのだろう、ということであります。

それから、もう一つ、今度はY先生のお話の中で、私が感動してお聞きしたことをお伝えさせていただきたいのですけれども、それは、Y先生が、やはり、先生の恩師である松木治三郎先生から、教えていただいたこととしてご紹介くださったことでしたけれども、それは、聖書の一言一句の中には、生き埋めにされたような命の叫びが潜んでいる、その埋もれた、隠された、命の叫びを聞き取ること、それが、聖書を読む、ということであり、また説教をする、ということだ、ということでした。聖書の一言一句の中には、生き埋めにされたような命の叫びが潜んでいる、その埋もれた、隠された、命の叫びを聞き取ること。・・・今日の聖書箇所は、イエスさまが、墓に葬られるという、そういうところであるわけですけれども、そのように葬らえていくイエスさまが、その中で発しておられる、命の言葉、私たちをまことに生かしてくださる言葉を聞き取ることができるか、それが、わたしに今回課せれた使命である、と思いました。また、そのお話しをしてくださったとき、山崎先生は、このたびの北海道で起きた地震に触れられて、あの地震で、多くの人が生き埋めになってしまわれた。そして必死の捜索活動も虚しく、全員の死亡が確認された。それは大変痛ましいことであったわけですけれども、まさに、あのような命がけの捜索活動を、私たちはまた、聖書の一言一句に対しても、そのような気持ちで、この中に、大切な命が生き埋めになっているのだ、という思いで、なしていかなれかばならない、ということを語っておられました。その言葉はずしりと私の心に響いてまいりました。

そのようなわけで、わたしたちは今から、今日私たちに与えられました聖書の箇所、十字架に死なされたイエスさまが、お墓に葬られていく、そのところから命の言葉を聞き取っていきたいと思うのですけれども、まず、このところで語られていますことは、ヨセフという、アリマタヤという地方の出身者であるユダヤ人の議員が、十字架で亡くなられたイエスさまのご遺体を引き取りたい、と、そうピラトに申し出まして、そしてそれが、承諾されまして、イエスさまのご遺体を、彼が自分で用意したお墓に納めた、ということであります。

このヨセフという議員のことを聖書は「善良で正しい人」だったと、高く評価しています。また、同僚の決議や行動には同意しなかった、と語られています。このことから、私はこれまで、このヨセフは、あの、イエスさまのことを、神を冒涜する者として、ピラトのもとへ連れていった、ユダヤの大祭司を中心とする最高法院の中の一人か、とそのように単順に考えていました。けれども、実際にはユダヤの議員といいましても、誰もがみな、最高法院のメンバーであった、というわけではなかったようです。いわば、最高法院が国会議員とすると、地方に属する市議会議員という立場があって、ヨセフは、もしかすると、最高法院のメンバーではない議員だったのではないか、そういう説もあるようです。私は今回、この箇所を改めて読んでみましたとき、どちらかといえば、その可能性はかなりあったんじゃないか、そのほうが、彼が同僚の、つまり、同じ議員といっても、最高法院の人々の決議や行動に反対だった、ということもすんなり納得できますし、「神の国を待ち望んでいた」「善良で正しい人」であったとの評価も理解できるように思うのです。いずれにしましても、きっとこのヨセフは、どこかでイエスさまに会っていたはずです。そして、イエスさまとの会話や、イエスさまの立ち居振る舞いにふれるなかで、イエスさまを信頼し、イエスさまを信じる者となっていたのです。そして、イエスさまを通して神の国が来るという期待を抱いていたのだと思うのです。

けれども、そのイエスさまは十字架にかけられて死んでしまわれたのです。他の弟子たちは、イエスさまは十字架にかけられた時点で、イエスさまを見捨てて逃げてしまったのです。いや、後で申しますけれども、女性の弟子たちは、この場に残っていました。しかし、あのペトロをはじめとする十二弟子の姿はどこにもありません。彼らはこの場面の外のどこかに身を潜めて、隠れていたことでしょう。ただ隠れていただけではないでしょう。彼らは絶望していたことと思います。それは、イエスさまは死んでしまった、という、そのことももちろん、ありますけれども、彼らの正直な思いとすれば、イエスさまが新しいユダヤの王になって、この国に君臨し、ローマ帝国を倒してくださり、自分たちも国のえらい大臣になっていく、という、そういう彼らの思い描いていた理想や夢が、崩れ去ってしまった、そのことから来る深い絶望のなかにいて、そういう絶望の闇のなかに完全に埋没してしまっていたのではないでしょうか。まさに、彼ら弟子たちこそは、今日のこの場面のなかで、イエスさまとは違った意味で、埋められてしまっている人々なのです。絶望のなかで生き埋めにされている、それがこのイエスさまの葬りという大事な場面に、姿を現さない、現せない弟子たちの現実だったのではないでしょうか。そこには、なぜイエスさまを自分は裏切ってしまったのだ、という自分を攻める思いもあったでしょうし、反対に、自分の期待通りではなかったイエスさまへの批判もあったでしょうし、いろいろな複雑な思いが、彼らをこの場面に生き埋めにしている。しかし、そういう弟子たちの現実とはまったく違うことを、ある意味ではやはりイエスさまの弟子であったともいえるヨセフという議員は行ったのです。彼もまた、イエスさまに対して抱いていたものを、イエスさまの死にいって、打ち砕かれたのではないか、と思うのです、しかし、それにもかかわらず彼は、いま、イエスさまのご遺体を丁寧に葬ること、そのことに命懸けで取り組んでいるのです。

命懸けというのは、一つには、やはりユダヤ同胞からの批判、下手をすれば、自分もまた裁かれかねない、そういう危険を犯してでも、彼はイエスさまのご遺体を大切に扱おうとしている、ということ、もう一つは、ピラトに、直々にそのことを願い出る、という、そういう意味では、やはり相当に顔の聞く人であったという見方もできますけれども、逆にまた、もしこれがかれにとって初めてのピラトとの対面である、というならば、ピラトからの処罰も十分考えられるなかで、こういう行為に出たという、勇気ある決断を彼はしたのであります。聖書には書いていませんけれども、じっさいヨセフはこのあと処刑されてしまった。そういうことも十分に考えられるのです。さらにもう一ついえます重要なことは、ユダヤの律法においては、死体は汚れたものとされていました。それでももし死体に触れるようなことがあれば、その者は汚れを身に帯びたものとして、一週間は、共同体の交わりや行事に関わることはできない、ということになっていた、ということがあります。つまり、ヨセフはこのとき、イエスさまのご遺体に触れたことによって、ユダヤの祭でもっとも大切な過越祭の、その過越しの食事に、あずかれなくなってしまった、それはつまり、ユダヤ教でいえば、この一年の救いの恵みにあずかれなくなってしまった、ということを意味していたのです。

なぜ、そのような大きな危険を犯してまで、彼はイエスさまのご遺体を引き取り、丁寧に葬ろうとしたのでしょうか。さきほど申しましたように、この場面で、一つ忘れてならないのは、このヨセフの行動の一部始終を見届け、ヨセフの後を、ついていった婦人たちがいた、ということです。この婦人たちは、、ガリラヤからイエスさまについてきた女性たちだ、とありますかた、イエスさまの弟子となった女性たちです。彼女たちは、逃げずに、この出来事を見守っていた、ということが、今日のところの最後に語られています。56節ですけれども、「イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油とを準備した。」そして、少し間があいていてわかりにくいですが、その56節の最後で、彼女たちは、「安息日に掟に従って休んだ」。とあります。

なぜ、彼女たちは、逃げずに、この出来事を見守っていたのか、よく説明されますのは、男性の弟子たちとちがい、いのちの危険がなかったからだということです。つまり、暴動などの政治的な罪に問われるのは、男性であって、女性はそういうことにはならなかった、だから、彼女たちは、ある意味では安心して、その場に残り続けることができた、ということが確かに考えられます。けれども、彼女たちが、イエスさまの、このような死を経験して、様々な意味でのショックを受けていたことには変わりがないと想います。そういう深い絶望と悲しみのなかで、しかし彼女たちは、イエスさまの亡骸に、自分たちのできる精一杯の奉仕をしようとしています。

香料と香油というのは、ご遺体を葬るさいになされる防腐処置でありました。しかし、決してそのような事務的なことだけを意味したのではありません。それは、いわば、私たちでいえば、葬儀において、ご遺体を綺麗に洗ってさしあげ、清潔な服をお着せしてさしあげて、そして、お柩のなかで、その方のまわりをお花で囲む、ということをいたします。そういう、その亡くなった方への配慮、敬意を香料と香油のイエスさまのご遺体に施すということは表していたのです、ガリラヤからずっとイエスさまについて来た女性の弟子たちは、そのようにして、この悲しみのなかにあっても、イエスさまからこれまで受けた愛への感謝を表そうとしているのです。

ヨセフ自身はなぜ、香料と香油をイエスさまのご遺体に塗布しなかったのでしょうか。それは時間がなかったからです。ヨセフは急いでいました。安息日が近づいていたのです。安息日には仕事をしてはならない、神さまが休息なさった日として、人間も神さまと共にその休息にあずからなければならない、そういう掟があって、その限りで、ヨセフは一所懸命、イエスさまのご遺体を葬ったけれども、限界があった。婦人たちもまた、安息日のルールを守っています、そしてその安息日が終わってから、ヨセフにはできなかったことを、なそうとしているのです。そういう意味で、本当に、ヨセフも女性たちも、神さまへの信仰を大切にしつつ、同時に、イエスさまへの感謝を表そうと、そのご遺体を丁寧に葬ろうと一緒賢明に動いている、とくにヨセフの場合は、命懸けでそれを行っている、そういういわば深い愛と信仰の行為がここには伺われるのです。

しかし、それにしてもヨセフは、命をかけて、それをなしたのです。女性の弟子たちが、イエスさまのご遺体に香料と香油を施すことができるのも、ヨセフの勇敢な行為あってこそです。なぜ彼は、そのような勇敢な行為をなし、そして、イエスさまへの愛と信仰の証をなすことができたのでしょうか。なぜ彼一人だけが、このような大きな働きをなし得たのでしょうか? 彼は「善良で正しい人」だった、ユダヤの議員で同僚の決議や行動には同意しなかった、といいます。みんなが右だと言っているとき、決然と左を進んでいった人です。彼は、立派な人です。人格者であり、知恵と勇気を備えた人です。その意味で、彼の姿は、クリスチャンの理想像、いや人間の理想像ともいえるかもしれません。

高い地位を持ちながら、それを投げ打っても、悲惨な死のなかに捨て置かれた者を救う愛の行為、それは、まさにルカ自身が思い描いていた、当時の力あるクリスチャンたちに願っていた生き方ではないか、そのようにも思いました。ルカ福音書には、有名な良きサマリア人のたとえが記されています。イエスさまは、わたしの隣人とは誰か、と尋ねる「ある律法の専門家」に、旅の途中で倒れていた旅人を、自分のことを置いて、手厚く介抱するサマリア人のあり方を語り、また他方で、人々に立派な教えを説いておきながら、旅人を見捨てていく当時の宗教的指導者のあり方を語ることによって、隣人愛とはどういうことかを、伝えられましたが、わたしはふと、アリマタヤのヨセフもきっと、このとき、この話を聞いていた人の一人であったのではないか、そして、何か深く感じ入るものがあったのではないか、それが、いま、まさにイエスさまご自身が、まるで強盗に襲われた旅人のようにして、十字架の上で命を引き取られた、いてもたってもいられなくなったのではないでしょうか。

ふと、そういうことを想像したのですけれども、さらにまた、思いめぐらしていくなかで、ああそうだ、じっさい、この世にあっても、時に確かに、そういう人物が現れることがあるなあ、と思い至りました。覚えておられるでしょうか? あの東日本大震災で、宮城県の南三陸超に津波が襲ってきたとき、町の人々を無事に避難させるために、最後まで、町の防災対策庁舎に残って、逃げてください、逃げてください、と避難指示を出し続けた、という町職員の方がおられましたが、そのことを思い出しました。また、やはり同じように、このたびの西日本豪雨のさい、人々を安全に導くために、その最後を見守っていて犠牲になった警察官の方の話を思い出しました。どちらも場合も、いのちをかけてその使命を全うした方々だということができると想います。そういう方々がおられたことに、改めて頭が下がる思いがいたしますし、同時、今日のこのヨセフもまた、そういう社会的な使命に生きた人であったのかもしれないと思いました。そして、今回の北海道の地震でもそうですが、ああやって、生き埋めにされた人々が、変わり果てた姿で発見されていく、その中で、遺体が見つかってよかった、と涙を流し、そのご遺体を丁寧に葬る人々がいます。本当は、よいことなんてない、誰もが元気な姿で再会できることを願っているのです。でも、現実を受け入れて、見つかって良かった、というしかない、そういう痛み、悲しみの中で、精一杯の葬りをしようとする人々、その姿に、この今日のところに出てきます、ヨセフや、またイエスさまにせめて香料と香油をささげたいと、動きはじめる女性たちの姿が重なるように思いました。

しかし、そういう、ヨセフのような偉大な愛と信仰の働き、またこの女性たちのような悲しみをこらえての、精一杯の愛と感謝の働きとは、別に、もっと深い問題が、今日このところには示されている、そのことを私たちは見失ってはならないのです。それはなんでしょうか。それは、他でもない、葬られたイエスさまご自身が、その葬られることを通して、何かをなさってくださっている、ということです。そのことを、わたしたちは実はちゃんと、信仰告白の中で告白しているのです。すなわち、主イエスは、死にて葬られ、陰府にくださり、三日目に死人のうちより蘇りと、私たちは告白しています。そうです。葬られたイエスさまは、陰府に下られたのです。陰府とは、どこでしょうか。

一つは、天国の反対の地獄です、罪人が神に裁かれていくことになる、その地獄にイエスさまくだられたのです。何のためでしょうか。地獄に落ちた人々をも救うためです。地獄に落ちた人々にも福音を告げ知らせるためです。その意味で、ですからクリスチャンにとって、つまりイエス様を信じる者には、地獄はなくなったのです。イエスさまはたとえ私たちが地獄に落ちても、そこにまで来てくださり、そこから救い出してくださるのです。

けれども、そのような天国の反対の地獄という意味以上に重要な意味が、陰府という言葉には含まれています。それは、言ってみれば生き地獄です。イエスさまは私たち人間が、この世はまるで生き地獄だと叫びたくなるような、そのような悲惨な現実の只中にくださってくださったのです。この世における、悲惨の極み、絶望の深み、それは、いままさに日本の各地で被災された人々の生活の上にのしかかっていることでもあります。明日の生活はどうなるのか、愛する家族を突然に失ってしまった、手塩にかけて、せっかく育てた野菜や果物がみんなダメになってしまった、まさに、そういう生き地獄の悲惨の極み、絶望の極めみの只中にある、そうした十字架を背負う一人一人に寄り添い、その一人一人とともにいてくださるために、いま、イエスさまは、自ら葬られつつ、陰府にくだってくださっているのです。

また、そのような被災地の方々のために、いのちがけの救助活動をしている、勇敢なボランティア活動をしいる、まさに今日のヨセフのような勇敢な愛の働きをなすことができる人もいますけれども、むしろ、わたしたちの多くは、そうした力も、能力も、勇気もなく、ただ、そのような事態を見守り、祈ることしかできない、そういう中で、自分の惨めさ、弱さを痛感させられます。そのような私たちの弱さは、このイエスさまの葬りのときに、姿さえ見えない弟子たちの姿と重なるのではないでしょうか。けれども、まさに、そのような、信仰的に生き埋めになっている、そのような意味でやはり、生き地獄に喘いでいるような弟子たちにところもまた来てくださり、救いの福音を届けてくださるためにも、イエスさまは陰府にくださっているのです。そして、復活の朝、いまは姿の見えない弟子たちを、その御光で照らしてくださり、絶望のそこにから救い出してくださって、新しく生きるものへ、イエスさまとともにあるまことの神の国に生きるものとならせてくださるのです。そのような復活の朝につながる、その意味で大切なイエスさまの葬りのこの日を、深く胸に刻んで、主は生きておられる、との喜びの永遠の朝に生きるものへと立ち上がっていきたいと願います、祈りましょう。

主なる神さま
御子イエスは、十字架に死に葬られて、陰府にくださってくださいました。陰府は、罪人のいくべき地獄であり、また、生き地獄とも呼ぶべき、この世の悲惨の極み、絶望の極みであります。そのような苦しみ悲しみの中に、あなたが来てくださり、私たち一人ひとりに、手をさしのべ、愛の福音を告げ知らせてくださっていますことを心より感謝いたします。ヨセフのような愛の業、勇敢な決断、勇敢な行動に、なかなか至れないわたしたちでありますけれども、あなたに全てをゆだねられた御子イエスのみあとに従い、わたしたちも全てをあなたにゆだねつつ、御心にかなった歩みをなしていくものとならせてください。主のみ名によって祈ります、アーメン

category: 礼拝メッセージ

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交通アクセス 

教会地図4 20180902
京阪香里園下車東口。関西医大香里病院方向に出て徒歩15分。教会隣に専用駐車場有り。

category: 交通アクセス

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聖霊降臨節第18主日礼拝 

2018年9月16日(日)ルカによる福音書23章44-49節
「御手にゆだねます」三ツ本武仁牧師

 イエスさまがついに十字架の上で息を引き取られた、今日の聖書個所はそのところであります。すでに昼の十二時ごろであった、という言葉から始まっています。思えば、その日の夜明けとともに、イエスさまはユダヤの祭司長たちによって、ローマ総督ピラトのもとに連れ出され、そして裁判を受けられ、そして十字架刑ということになって、このゴルゴタの丘まで連れて来られ、十字架につけられました。その時の時刻をルカは書き留めておりませんが、マルコ福音書によれば、それは朝の9時であった、といいます。ですから、朝の9時から12時まで、3時間ですか、その間、様々な侮辱的な言葉や行為をその身に受けられながら、イエスさまは、十字架につけられていたのです。

 と、突然、全地が暗くなり、それが3時まで続いた、太陽は光を失っていた、といいます。今度は12時から3時までの間のやはり3時間ですけれども、真昼だというのに、全地が暗くなってしまう。太陽が光を失っていたのだ、というのです。最近の日本は、豪雨、地震、台風、危険な暑さと、まさに天変地異といってよい自然現象が続いているわけですけれども、聖書がここに語っていることも天変地異として受け止めることもできます。異常な現象が起こった。少し前、中国人の聖書研究者が書いた本に、中国の古い歴史の書を紐解くと、ある時期に皆既日食があったという記事があって、その時期を計算すると、実にイエス・キリストが十字架にかけられた頃の時期に一致する、ということが書いてありました。

けれども、聖書全体に照らして、この出来事を捉えていきますとき、やはり一番大事なことは、この聖書のまさに最初にでてきます、天地創造の物語との関係からこの出来事を捉える、ということではないか、と思うのです。つまり、イエスさまが昼間の6時間、つまり本来は、人間が活動するための明るい時間として神さまが与えてくださった、その時間に、十字架にかけられていた、そしてその後半の3時間に、全地は暗くなった、太陽が光を失ってしまった、それは、父なる神さまが、その愛の御意思でもって、この世界をつくろうと、お考えになって、そして、混沌としていた世界に、光を創造し、天と地を創造し、そして光もの、つまり太陽を創造されて、昼と夜を創造され、そうやって世界に秩序を与えていかれた、そして、その1つ1つの創造の業を「よし」とされていかれた、その「よし」という御業を、ここでいったん、取り下げられた、ということであります。光るものとして創造された太陽から、その光を奪ってしまわれた、御自分の創造を「よし」とするのをいったん、やめてしまわれた、ということです。
 
 神さまは、どうして、そういうことをなさったのでしょうか。それは、イエスさまが、御自分の独り子が、十字架にかけられているからです。しかし、それは、イエスさまを十字架にかけた人類への罰として、全地を暗くされた、創造の御業をいったん取り下げられた、というのではありません。そうではなくて、いまここで神さまは、最初のあの天地創造で、6日目に人間を創造されて、そして7日目にお休みになった、安息なさったわけですけれども、その安息から、いま神さまは改めて起き上がられて、その天地創造の業に、もう1つの業を加えられる、そういう準備を始められた、ということなのです。そのみ業とは、すなわち、イエスさまの死に呼応して行われる、人類の罪の赦しの業、であります。いまイエスさまの隣で、イエスさまと同じようにして十字架につけられている犯罪人がいて、その一人が、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」とイエスさまに頼んだ、するとイエスさまはそれに答えて、はっきり言っておく。あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と宣言してくださいまた。・・・神の天地創造のさい、アダムとエバが、神さまにいつも心を向けて歩んでいく、そういう生き方から、自分中心の思いに落ちていくなかで、神さまが与えてくださった、エデンの園に、楽園に居られなくなってしまった、けれども、その楽園へ、いま全ての人類が戻っていく道が、イエスさまの死という出来事に呼応して、父なる神さまによって創造され始めた、回復され始めたのです。

 このたびの大型台風21号によって、海上に浮かぶ関西空港に通じる、ただ一つの連絡道路に、大型の船が激突してしまって、その道路が大破してしまって、5000人以上の人が、関空に閉じ込められてしまって一夜を明かすことなった、そういう出来事がございましたけれども、まさに、神さまと私たちをつなぐ、ライフラインが、ながく人類には失われていたわけです。でも、イエスさまが来てくださって、その道となってくださった、そのようにして、わたしたちは救われたのです、私たちは本当のあるべき人生を再スタートできるようになったのです。つまり、互いに罪深いものである、そのことを認めつつ、しかし、その罪を神さまによって赦された恵みに生きるものとして、主にあって赦された兄弟姉妹として、再会していく、共に神さまを見上げなから、共に生きていく、そういう恵みに満ちた人間の生活が回復されていく、その準備が整えられたのです。ですから、その意味でこのイエスさまの十字架のときの暗闇は、人類の「夜明け前」でもあるのです。では、夜明けはいつか、それが、イエスさまの復活の朝です。イエスさまのご復活の朝とともに、わたしたちはイエスさまに導かれて、神さまと共に生きるものとして、再出発できるものとされたのです。

 ちなみに、このテーマを文学として表したのが、私は、あのドストエフスキーの『罪と罰』であり、アウグスティヌスの『告白禄』である、と考えています。今日はそのことに深くふれる時間がありませんけれども、どちらも、共に、罪の深みに生きる人間が、イエス・キリストを通して神への回心へ、神と共に生きる者へと再生されて、そこから、新しく生きていくものへ創造されていく、そういう人間の姿を描いていると思います。

 私たち一人ひとりのその新しい天地創造の幕開けにさきがけて、いまイエスさまの死にさいして、全地は暗くなった、のであります。と同時に神殿の垂れ幕が真ん中から裂けてしまった、といいます。この神殿の垂れ幕というのは何のことか、といいますと、神殿の一番奥まったところに、聖なる場所ということで、至聖所という小さな部屋がありました。そこには、あのモーセの十戒が、神の箱に仕舞われて安置されていました。そして、その場所には、大祭司だけが、年に一度だけ、過越祭の贖罪日だけに入ることがゆるされた、というそういう、ユダヤ人にとっては、神さまがおられるとすれば、まさにここにこそおられる、という、そういう大切な聖なる場所であったわけです。その聖なる場所を、そのような聖なる場所ではない、いわば俗なる場所と分けるために設けられていたのが垂れ幕です、ところが、その垂れ幕が、真ん中から裂けてしまった、というのは、ですから、それは本来あってはならないことです。あってはならないことですけれども、そういうことが起こった、それは神さまが起こされたのですけれども、なぜこんなことを起されたのか、もうこの世には聖なる場所はなくしてしまえ、という、そういう天罰なのか、そうではありません、そうではなくて、神さまは、いまこのときから、神殿の奥まったその部屋ではなくて、他の場所、といいますか、他の方を、新しい至聖所とされた、ということなのです。つまり、イエス・キリストを通して、これからはご自分を現わし、示していかれる、というその宣言をされた、ということです。神さまを、イエスさまを、これから、この地上でご自身を現わしていかれるところ、となさったのです。

 そして、そのような中で、イエスさまは、叫び声をあげられて、息を引き取られました。46節ですけれども「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」そう大きな声で叫ばれて、イエスさまは息を引き取られた、というのです。そして、この出来事のすべてを経験したローマの百人隊長は、大きな衝撃を受け、「本当に、この人は正しい人だった」と言い、神を賛美します。本当にこの人は正しい人だった、というのは、この人は神さまの前に正しい人だった、ということです。つまり、彼は、異教徒でありながら、この出来事の中で、イエスさまを信じ、そのイエスさまを通して、神さまを信じて、神を賛美する者へ、つまり、まことの楽園へと帰り、主の救いと平安にあずかる者へ変えられたのです。また、見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った、といいます。胸を打った、というのは、悔い改めの表現です。あんなにイエスさまのことを嘲りののしっていた群衆たちが、このイエスさまの死に関わる中で、もう一度、180度、その態度を改めて、今度は本当に、イエスさまを信じ、神のもとへ立ち返っていく者とされたのです。

 周囲の人々を、一変に、神さまへと立ち返らせてしまった、回心させてしまった、それほどの衝撃が、イエスさまの十字架の死を味わった人々にもたらされたのだ、ということです。それには、ここの最初に記されていました、人々を動揺させるような自然現象や、神殿での出来事も大きく関わっていたことと思います。けれども、やはり決定的に大きかったのは、イエスさまの叫ばれたことばにあった、私はそのように思うのです。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」

「ゆだねる」という、この言葉は、今年度の香里教会の年間標語聖句にでてくるみ言葉でもあります。「あなたの道を主にゆだねよ、主に信頼せよ、主が成し遂げてくださる。」という口語訳聖書の詩編37編5節のみ言葉をわたしたちはいただいて今年度、わたしたちは歩み始めました。どうでしょうか。主にゆだねる、ということを心掛けて、みなさんは歩んでおられるでしょうか。ちょっとお話を聞いてみますと、「いやーなかなか、ゆだねよ、よ言われましても、じっさいには、難しいですね」という人が多いようにお見受けしております。

 「ゆだねる」とはどういうことなのでしょうか。それは簡単なことなのでしょうか。難しいことなのでしょうか。私たちが考えている「ゆだねる」と聖書のいう「ゆだねる」とは、どこか違うのでしょうか。イエスさまはこのとき、どのような思いで、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と叫ばれたのでしょうか。私はこの一週間、ずっとこのことを考えて歩んでおりました。その中で、今回は、ほんとうに豊かな気づきを与えられたのですけれども、わたしはこの「ゆだねる」という言葉の意味を、実は、大変不思議なことですけれども、あの鈴木大拙という、金沢が生んだ、世界的仏教哲学者といわれる人の言葉の中に見出したのであります。ちなみに鈴木大拙先生は、仏教哲学者と一般では紹介されていますけれども、アメリカ留学やながくアメリカで仏教を教えてこられた経験から、キリスト教に大変造詣の深い方でいらっしゃいまたし、その人生の最後を、あの日野原重明先生のおられた聖路加病院で過ごされて、日野原先生と大変親しい交わりをなさった方でありました。

 さてその鈴木大拙先生は、禅宗の無心、無という境地を説明するさい、この聖書のいう「ゆだねる」ということ、正確には、鈴木大拙は「まかせる」という言葉を用いて、次のように語っているのです。

 わたしのいう無心というのは、何も考えないとか、そんなものではなく、たとえばキリスト教のいう「御心のままに」というようなことなのです。神の御心のままになさせ給えという、その「まかせる」ということです。
 「御心のままに」との祈り、そこでは、神への全幅の信頼のもとに、自分のはからいを一切捨て去った境地があります。そこまで徹底して「まかせる」こと「ゆだねる」ことは、じっさいには簡単なことではありません。そこには確固たる信頼・信仰がなければならず、そこに至るのは決して容易ではないでしょう。しかし、このことが成就したとき、私たちは根本的な大安心の中で、この人生を生きていくことができるでしょう。(以上、竹村牧男著『鈴木大拙 日本人のこころの言葉』18~20頁参照)

 わたしはこの文章を読んで、衝撃を受けましたし、深い感動を覚えました。しかし、また、ただ一点、僭越はなはだしいことですけれども、先生にどうしても言いたいこともこみあげてまいりました。先生は、キリスト教のいう「御心のままに」という境地を大変評価されつつも、本当にそれが可能であれば、大安心にいたれる、でもそれはじっさい簡単なことではないだろうと、考えておられる、そのようにわたしはお見受けしたのですけれども、まさにそれはそのとおりなのですが、その不可能を可能とされた方が、イエスさまなのだ。ということを、キリスト者は見ているのです。イエスさまが、ただ一人の正しい人、義人として、十字架の死という、悲惨の極みの中でにおいて、その「御心のままに」という、神への全幅の信頼のもとで、「ゆだねる」信仰を表してくださったのです、そのことによって、そのイエスさまゆえに、イエスさを通して、すべての人が、その救いの恵みに、大安心の恵みにあずかるものとされたのです、と、そういう思いがこみあげてきまして、わたしはある本屋さんで、この本にであったのですけれども、思わず、その場でそのことを叫び出したいくらいでありました。

 先生がおっしゃるとおり、本当の意味で、「ゆだねる」というのは、相手への絶対的な信頼があるからできることなのです。聖書の場合、つまり、それは神さまへの全幅の信頼があるゆえに、語ることのできる言葉として表されているのです。けれども神さまに全幅の信頼をおくことができる、というのは、本来、自分は絶対に神さまに罰せられないという保障のある人だけができることであります。つまり、神さまにゆだねる、ことができるは、自分には罪がない人だけなのです。だから、鈴木大拙は、それは簡単なことではない、といわれるわけです。いや、正直それは無理だと思っておられる、そうなのです。わたしたちには本来無理なのです。けれども、イエスさまが、その私たちには無理なことを、なしてくださった。人間がもっとも、神さまを信頼できない状況の中で、神さまに見捨てられたような状況の中で、イエスさまは、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と、神さまへの全幅の信頼をおいた言葉を、心から発してくださったのです。そして、じっさい、この後で神さまはこのイエスさまの信頼に応えてくださいました。復活の命へとイエスさまを招き、そしてイエスさまを通して、私たちも、イエスさまと同じ復活の命へ、楽園へと招いて下さったのです。

 わたしたちには、神さまに「ゆだねる」力もなければ、神さまに「ゆだねる」信仰もなければ、神さまに「ゆだねる」資格もありません。でも、その「ゆだねる信仰」を、イエスさまが、十字架の死において、それをなしてくださったことによって、私たちに恵み与えて下さったのです。ですから私たちは、日々の生活の中で、繰り返し、ゆだねられなくっていく、でも、そのたびに、このイエスさまの十字架の出来事を思い起こすのです。それが必要なのです。「御心のままに」とクリスチャンは、自分だけで祈っているのではありません。十字架のイエスさまを通して、十字架の上にあってなお「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と祈られた、イエスさまを通して、祈っているのです。そして、そのとき、わたしたちは、今日のこのところで、回心へと導かえた人々のように、わたしたちも繰り返し、回心へと導かれて、さまざまな思い悩み、不信、苦難、困難の中にありましても、十字架のイエスさまとともに「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言い表していくものとされるのです、そして、そのことを通して、大安心の人生が恵み与えられていくのでありまます、祈りましょう。

 主なる神さま、「わたしの霊を御手にゆだねます」そのように祈られたイエスさまによって、あなたに「ゆだねる」にあたししない私たちにもあなたに「ゆだねて」いく、大安心の道が開かれました。感謝いたします。罪のゆえに、すぐに「ゆだねる」ことのできなくなってしまう私たちですが、主の十字架を見上げ、主のみ声を思い起こし、繰り返し、あなたに「ゆだねて」生きる恵みに立ちかえっていくものとならせてください。主のみなによっていのります。アーメン

category: 礼拝メッセージ

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